お知らせ

2007.10.15 某機関誌に寄稿いたしました

歯のエックス線写真による身元確認システムの開発
篠原歯科医院 小菅栄子

はじめに

 私は、歯科大学を卒業後、高崎の父の診療所で勤務医をしながら、大学の放射線学教室に所属し、歯のエックス線写真による身元確認の研究を続けております。平成12年からは、群馬県検視警察医をさせて頂いております。

 22年前に、日航ジャンボ機が上野村の御巣鷹山の尾根に墜落し、多くの方が犠牲になりました。その当時、父が犠牲者の身元確認に携わったことから、今でも8月12日になるとスタッフと共に御巣鷹山慰霊登山を続けています。最近では、御遺族が年々歳をとられていくのに心が痛み、御高齢になった御遺族が急な坂を登られる姿には涙が出ます。その中で、数年前に偶然出会った御遺族の方から、歯による身元確認への疑問を打ち明けられる出来事がありました。これがきっかけとなり、次第に大規模災害時に役に立つような身元確認システムを作りたいという強い使命感を感じるようになりました。

 現在、全国で歯科医院は65,000件あると言われています。これらの医院では、歯科用の小さなエックス線写真を撮影するための装置が必ず設置されています。また、1999年の歯科エックス線写真に関する実態調査によると、年間約80,730,000枚ものエックス線写真が全国で撮影されているようです。日本では国民歯科受診率が高いため、多くの人が歯科医院にてエックス線写真を撮影するとともに何らかの治療を受け、歯科カルテに治療内容が記載されています。これらの事を総合して考えると、歯のエックス線写真による身元確認システムが自動化されれば、大規模災害時などのスクリーニング(選別作業)に使用することが出来るので、災害現場で身元確認作業にあたる歯科医の負担軽減と時間短縮が出来るのではないかと考えました。

 今回は、これまでに進めてきた研究の一部を皆様に紹介したいと思います。まだ実験的なシステムを開発している段階ではありますが、歯のエックス線写真による身元確認システムとして、どの程度の性能(識別精度や処理スピードなど)を有しているかなどを紹介します。

歯のエックス線写真を用いた身元確認システム

 大規模災害時に指紋や歯牙所見を用いて身元確認を行う方法は、時間と精度の両面で非常に有用な方法です。指紋を使った身元確認は、すでにコンピュータを用いた自動識別システムが開発されています。一方、歯のエックス線写真を使った身元確認は、現在でも専門家が膨大な量のエックス線写真の中から一致する写真を手作業で探して行っています。大きな災害の場合は、犠牲者の損傷も激しいため、顔や指紋などを使って身元確認をすることが難しくなります。このような場合は、歯のエックス線写真を使った身元確認が重宝されます。ただし、現在までに自動識別システムが開発されていないために、災害の規模が大きくなるほど、膨大な作業時間を必要とするだけでなく、誤認の危険性も増大する可能性があります。そこで、私は、歯のエックス線写真を用いた身元確認の作業時間の短縮と識別性能の向上のために、コンピュータを用いた自動識別システムの開発を目的として研究を進めています。

 現在までに、歯のエックス線写真を用いた身元確認では、撮影時に生じる幾何的な変形(位置ずれ、回転、拡大・縮小、ひずみなど)が原因で、自動的に照合することは難しいとされてきました。撮影の度に歯科医師が装置を配置するためエックス線の照射角度が異なってしまうことや、指でフィルムを押さえつけるためフィルム自体が変形してしまうことが原因で、エックス線写真に幾何的な変形が生じます。開発したシステムでは、このような変形を正確に補正し、本人であるかを正確に判断するために、位相限定相関法 (Phase-Only Correlation) を利用しました。位相限定相関法は、すでに、バイオメトリクス認証(顔、指紋、虹彩、筆跡などを用いた生体認証)で有効性が確認されています。位相限定相関法の特徴は、画像と画像の位置を正確に合わせることができることと、画像と画像がどれくらい類似しているかを数値で正確に表すことができることです。

 続いて、開発したシステムについて詳細を説明します。図1は、現在までに開発した歯のエックス線写真による身元確認システムのブロック図です。開発したシステムは、身元が不明な方の(検視時の)エックス線写真と、身元がわかっている(生前の)エックス線写真を格納したデータベース全体を照合し、類似度の高い候補を
絞り込み、最終的に専門家が検証します。具体的には、

〔i〕エックス線写真のコントラストを強調する前処理
〔ii〕画像間の位置や角度、ひずみなどを補正する処理
〔iii〕類似度を求める処理
〔iv〕専門家による検証
の4ステップで構成されています。ステップ〔i〕から〔iii〕までは、コンピュータを使って自動的に処理が行われ、データベース内から候補となる歯のエックス線写真のリストを作成します。ステップ〔iv〕は、専門家が検視時の画像(入力画像)と候補となる画像(ステップ〔i〕から〔iii〕で作成されたリスト)とを照合します。身元確認は間違いの許されない正確な照合が求められますので、最終的な判断は専門家が行います。

【図1】1歯のエックス線写真による身元確認システム

それぞれの処理について説明します。

〔i〕エックス線写真のコントラストを強調する前処理
歯のエックス線写真は、撮影のタイミングによりエックス線照射量が異なるため、ぼけてしまうことが多いです。診療には問題ありませんが、コンピュータで処理をするときには、このようなぼけにより画像処理の精度が下がってしまいます。そこで、前処理として画像のコントラストを強調します。図2の(b)がコントラスを強調した例になります。

〔ii〕画像間の位置や角度、ひずみなどを補正する処理
この処理は、(a)拡大縮小、回転、平行移動の補正、(b)ひずみの補正、(c)共通領域の抽出の3ステップで構成されています。

(a)正確に類似度を求めるためには、正確かつ高精度に画像間の拡大縮小と回転、平行移動を補正する必要があります。開発したシステムでは、位相限定相関法を用いて、正確に補正しています。図2の(c)が位置を合わせた結果になります。

【図2】歯のエックス線写真の位置合わせ:
(a)入力画像(左)と
データベースに格納されている登録画像(右)
(b)コントラストを強調した画像
(c)位置や角度を補正した後の画像

【図3】歯のエックス線写真のひずみ補正:
(a)左の画像にある基準点に対応する点を右の画像から求めた結果
(b)得られた対応関係より作成したひずみモデル
(c)ひずみ補正後の画像

(b)画像間のひずみを補正します。撮影のたびに、エックス線の照射角度とフィルムの角度が異なってしまうため、画像間にひずみ(歯が伸びたり縮んだりすること)が生じてしまいます。ひずみが生じていると、同じ歯を撮影したとしても長さが異なってしまうので、誤って違う人の歯と判断してしまいます。そのために、識別精度が著しく低下してしまう恐れがあります。そこで、画像を小さなブロックに分け、位相限定相関法を利用してブロック間の対応関係を求め、その関係から得られる情報を用いてひずみを補正します。図3がひずみ補正の様子になります。

(c)画像間の共通領域を抽出します。画像間で重なっていない領域は無相関なノイズとして働くので、類似度を正確に求めるために画像間の共通領域を抽出します。

以上の処理により位置や角度、ひずみを補正し、共通領域を求めた例が図3の(c)になります。どれくらい正確に位置合わせされているかを調べるために、図4のように位置合わせした画像の差をとってみました。画像がきれいに重なっているので、治療した部分がはっきりと表れています。

〔iii〕類似度を求める処理
得られた共通領域に対して位相限定相関法を用いて類似度を求めます。位置や角度、ひずみが補正され、共通領域を抽出しているので、同じ人のほぼ同じ位置を撮影したエックス線写真であれば、鋭い相関ピークが現れます。もし違う人のものであれば、位置などを合わせたとしてもピークが現れません。そこで、開発したシステムでは、このピークの高さを類似度として用いています。ピークは、最大値が1、最小値が0であることより、1に近い値となれば同じ人であると言えます。図5が位相限定相関法を用いて画像の類似度を評価した例になります。図5の(a)が同じ人の場合、(b)が違う人の場合となります。

【図4】位置合わせの結果:
(a)ひずみ補正をした後の画像
(b)重ね合わせた結果
【図5】位相限定相関法による
画像の類似度評価:
(a)同じ人の場合
(b)違う人の場合

 これらの処理を通して、身元が不明な方の画像(検視時の画像)とデータベース内にある全ての画像とを照合し、類似度の高いものから候補としてリストアップします。

〔iv〕専門家による照合
最後の処理は、専門家による照合になります。ステップ〔i〕から〔iii〕までのコンピュータを使った処理により、自動的に候補リストが出力されます。専門家は、身元が不明な方の画像(検視時の画像)とデータベースに入っているすべての画像を比較するのではなく、候補リストにある画像ペアのみを比較し、最終的な照合結果を作成します。

 以上が開発したシステムの処理の説明となります。本システムの中で、コンピュータによる処理(ステップ〔i〕から〔iii〕までの処理)は、1組あたり約4秒です。まだ発展途上のシステムですので、最終的にはもっと早く処理することができるシステムになる予定です。

性能評価

 開発したシステムの性能を評価した実験について説明します。性能評価では、生前・死後のエックス線写真の代わりに、歯科治療の前後で撮影されたエックス線写真を使いました。生前・死後では歯が欠けていたり、抜け落ちていたりする場合があります。一方、治療前後でも歯を削ったり、金属を埋め込んだりするため、照合するには同様の難しさがあります。実験で使用した画像は、60人から撮影した治療前後のエックス線写真で、合計で120枚になります。
実験は、この60組のエックス線写真のうち、治療前に撮影した写真を生前の(身元がわかっている)画像とし、治療後に撮影した写真を死後の(検視時に撮影した)画像としました。言い換えると、治療前の写真がデータベースに登録されている画像、治療後の写真がシステムに入力される画像ということになります。まず、治療後の写真(死後の画像)を1枚入力し、データベースに格納されているすべての画像60枚と照合します。そして、入力画像に対する候補リストを作成します。次に、別の画像を入力し、同様にデータベースの画像と照合して候補リストを作成します。このように、1対60の照合を入力画像の枚数だけ(60回)繰り返します。合計で3,600回の照合をすることになります。候補リストは、類似度の高い順に候補が並んでいるので、同じ人から撮影した画像の順位が1番高ければ正確に照合したことになります。

 図6は実験結果をまとめたグラフになります。横軸は本人画像の順位、縦軸は識別率を示しています。たとえば、照合スコアが1番高かったものには、本人画像が87%含まれています。また、上位3番で識別率が100%になっていることより、候補リストの上位3番目までに必ず本人の画像が含まれていることがわかります。この結果より、専門家は、候補リストにある上位3番までの画像を照合すればいいことになります。システムを利用しなかった場合、専門家は3,600回の照合をしなければなりませんが、システムを利用することで、そのうちの5%を照合するだけでよいことになります。本システムが実用化されれば、身元確認における専門家の作業負担を大幅に削減するとともに、結果が出るまでの時間の短縮や、照合精度の向上も期待されます。

【図6】実験結果

おわりに

 今回開発した歯のエックス線写真を使用した身元確認システムは、まだ実験的な段階であり、これからも性能や処理速度、使い勝手などを改善していきたいと考えております。今回、ご紹介させていただいたシステムは私が進めてきた研究の一部ではありますが、皆様の頭の片隅に覚えておいていただければと思っております。

 群馬県は、日航機墜落事故というとても悲惨な大規模災害を経験しました。悲しい災害を胸に刻んだ群馬県から、このシステムを全国に普及させたいと思っております。

 今回、開発を進めている身元確認システムを紹介するにあたり、貴重なスペースを頂けたこと、また、ご協力下さった方々に心より深謝申し上げます。このシステムを実用化するために、これからも惜しみない努力し続けていくことを皆様にお約束し、お礼の言葉と代えさせていただきたいと思います。

 なお、本システムは、神奈川歯科大学顎顔面診断科学講座の鹿島勇教授の研究グループと東北大学大学院情報科学研究科の青木孝文教授の研究グループの協力によって得られた成果です。これまでに開発したシステムについて、今年の11月にアメリカのシカゴで開催される世界最大規模の放射線に関する国際会議であるRSNA (Radiological Society of North America) 2007 において発表することが決まりました。毎年シカゴで開催されているこの会議には、全世界から医学・薬学・物理学・工学などの分野の研究者や大手企業の方々が参加します。参加人数は7万人とも10万人とも言われています。ここで発表することは大変名誉あることですので、日本国内だけではなく世界に向けても本研究を発信していきたいと思っております。

ページの先頭へ戻る